パズル制作の裏側 第20話

【前回】パズル制作の裏側 第19話

 さて、記念すべき第20回、「スケルトン風」漢字ナンクロについて、続けましょう。

スケルトン=骨格を模したマス目にリストの言葉をあてはめるという「スケルトンパズル」(19回を参照)から派生したスケルトン風ナンクロ。ですが、スケルトン風ナンクロなど(正式な)ナンクロじゃない、スケルトン風は嫌い、という方もいます。その主張はそれなりに理解できる。だってこれじゃナンデモアリじゃないか、ルールもへったくれもない、という訳です。スケルトンパズルのように骨格らしいマス目ならまだしも、それさえも中途半端。

実際、黒マスが繋がってもよいというルールが導入されればナンデモアリになりますし、苦労してマス目化してパズルを作成する作家の腕の見せ所もなくなってしまいます。黒マスだらけになってもよいなら誰にでも作成できる、だけど面白みも妙味も美しさもない。それは事実。ですからパズル作家でもスケルトン風は作成しないという方もいるそうですし、仮に作成するとしても(おそらく依頼する編集者と相談して?)独自のルール=限定ごとを導入している場合が多いはず。スケルトンパズルの骨格型により近い形にするとか、2文字はあえて入れないとか。スケルトン風ナンクロでは黒マスでなく薄いベタ塗りにしていることもあり、その部分の形=隙間を美しく見せることは必須です。あるいは、普通のナンクロではできないアクロバティックなマス目要素を導入して驚かせる、とかある種の芸が必要。やはり作家はパズル作成の際に矜持を見せたいというか、(ルールをなくしてしまったからこその)独自性を見せないといけないという強迫感を持つというか、とにかく、その作家の性質がより見えるのがスケルトン風ナンクロになる訳です。

普通のナンクロであれば、そこそこ定番の黒マスの配置法(定石)みたいなものがあります。これまでも言及してきましたが、そこにこそ(言葉の選択とともに)作家の独自性が表れる。ホワイトナンクロでは特に(読者を騙そうと)黒マスを定石に比べて極端に減らしたマス目を作成する作家がいますが、それも(意外性を狙った逆配置という意味で)配置法のひとつ。そういう例外的なスタイルを横に置けば、言葉を無理なく(違和感ない言葉で)マス目に配置するために、そこそこ余裕を持って黒マスを配置するという定番・定石がある訳です。(それでいて「階段型」が多すぎない=2文字が多くなりすぎないなど、退屈しないマス目を構成することが求められるんですけれど。)
スケルトン風ナンクロにはその定番・定石がない。黒マスをいくらでも繋げてよい訳ですから。必要なのは言葉の選択と、そしてここではなにより美意識。マス目にふだんはありえない「無理めな言葉」を入れることがいくらでも可能なんですから、次の一手を選ぶのもノーマルナンクロと比べると、選択肢が大幅に増えます。そこに作家にとっての難しさがあり、読者にとっては(ふだんのナンクロではあまり見られない言葉がマス目に出現するという)面白みが現れることになる。

さて、ふだんのナンクロではあまり見られない言葉とはどんなものでしょう。一例をあげれば「宇宙」の「宙」。手元の辞書では「宇宙」がらみ以外では「宙水」しか「宙」を使用する言葉はありません。(ちなみに「後藤宙外」という作家がいます。)これでは「宙」を使うことはノーマルナンクロではなかなか難しい。こういう文字がスケルトン風ナンクロならば使える。このタイプの文字に「画竜点睛」の「睛」、「一家団欒」の「欒」などがあります。辞書にはあっても2文字で馴染みがない言葉を使うのは作家としてはやはり避けたい。それが回避できることは(ふだん使いにくい文字を使えることは)パズルを作成する側からしたら、吉報です。

先ほど人名を出しましたが(「後藤宙外」)、人名などの固有名詞を使用できる可能性が広がることもスケルトン風ナンクロならでは。固有名は原則(よほどメジャーなもの以外は)使用しないのがナンクロの基本ですが、リストに載せるスタイルならばそれもあり。主に特集などのテーマもので、編集側からそういったリクエストがある場合があります。ただ、固有名は展開力のない文字で構成されている場合が極端に多い。「織田信長」ぐらいならば、まあよいのですが、「上杉謙信」になると「杉・謙」辺りが展開力がなくてなかなか厳しい。こういったものがスケルトン風だと、使える。

またこれは別の話になりますが、「宙」を使う言葉には「月面宙返り」などがあります。漢字館ではあまり掲載されていないようですが、「平仮名入りナンクロ」という形式ではこの言葉も使える。このスタイル(平仮名入り)もこれは邪道だという方が少なくないようです。これについては今後詳述しようかな、、編集の方と相談してみます。

ともあれ、スケルトン風ナンクロでは展開力が極めて低い文字の使用が可能になる。これは美点と言ってよいのではないでしょうか。作成する側からすると、カナナンクロを作成するノリに近いというか、より自由でよりセンスが問われるというか。ちなみに私は嫌いではありません、笑。制限のあるマス目の配置にも相変わらず興味ありあり、なんですけどね。(やはりパズルはルールと制限の共有、それを前提とした不意をつく驚きか命ですもんね。もちろん、言葉の発見と再認識とともに。)ではまた次号で。

●このコラムは、難問漢字館Vol.22に掲載されたものです。

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