パズル制作の裏側 第8話

【前回】パズル制作の裏側 第7話

 しりとりナンクロの一番の特徴は「語頭に来る文字は、語尾にもならなければならない」「語中の文字は前後の文字とのみ繋がっていればよい」ということです。これ、かなり明瞭・明確に書いたつもりなんですが、けっこうわかりづらいかもしれません。
このルールのおかけで、スタンダードナンクロでは使えない(使いにくい)文字が、しりとりナンクロでは使えたりしますし、逆にしりとりナンクロでは使いにくい文字というのもあるわけです。例をあげると、前者ならば「2文字を構成することすら難しい文字」、後者なら「漢数字は語尾になりにくい」などになります。
具体例をあげましょう。まずは前者から。
「四面楚歌」の「楚」。この文字は一般的に普及している2文字は「清楚」くらいしかありません。そのためスタンダードナンクロでは両側を黒マスで挟むかたちにしないといけないわけです。つまり、こういったマス目のかたちです。


【例その①】

【例その②】

 このようにパズル面の外枠に入れると、既に片方は黒マスになっているのと同じことなので、かなり便利なのですが、いかんせんパズル面の外枠というのは限られている。最初に提示したマス目のようにするには、最初から「四面楚歌」を使うという意思のもとでないとなかなか構成しないマス目です。「楚」と同じような文字に「形而上学」の「而」、「気宇壮大」の「宇」などがあります。
前回で「一家団欒」の「欒」の例をあげましたが、これは熟語の最後に2文字さえ構成しにくい文字が来るパターンでしたので、しりとりナンクロには不向きな熟語でした。これについては又に後ほど言及します。「画竜点睛」の「睛」などと一緒に、ナンクロにおけるマス目の作り方、あるいはナンバースケルトンを扱うときに。

 さて、しりとりの話。「両側を黒マスで挟むかたちにしないといけない」という前提そのものが存在しないのが、しりとりナンクロなのです。そのため、しりとりナンクロでは「2文字を構成することすら難しい文字」でも使用できるパターンが増える。例をあげれば、波瀾万丈の「瀾」、流言蜚語の「蜚」、軽佻浮薄の「佻」、和漢混淆文の「淆」、百花繚乱の「繚」、自家撞着の「撞」などがあります。
これらのうち、最後の2つは実はしりとりナンクロではそれほど使いやすい熟語ではありません。それは「語頭に来る文字は、語尾にもならなければならない」という設定では扱いにくい文字が使われているからです。ずばりそれは「自」「百」。
漢数字が語尾になりにくい話はすでにしましたが、それ以外にも「不」「無」「自」「再」「最」など、語尾になりにくい文字はたくさんあります。もちろん、語頭になりにくい文字も存在します。大自然の「然」、器用貧乏の「乏」、千載一遇の「遇」、などです。厚顔無恥の「恥」などはあるにはあるのですが、文脈もなしに使うには忍びない熟語ばかりなので、そういう文字もあります。前にあげた「欒」「睛」は語頭にも語尾にも不向きな文字、こういう文字も(特に四字熟語には)たくさんあります。

 また、しりとりナンクロの特徴に「二重マスを(作家の裁量次第で)いくらでも使える」ということがあります。ひたすら二重マスを続けるスタイルにすれば、すなわち2文字が延々と続くということになりますし、二重マスを少なくして、かつ長い熟語を多くすれば使われる熟語数が少ないスタイルになる。ここら辺りは難易度の関係とともに、ま、いろいろあります。ただ、私は「しりとりナンクロの二重マスはなるべく少ないほうがよい」という立場です。なかなかそうもいかないのですけれど。
一応、例をあげておきます。





 読者の方も感じておられると思いますが、しりとりナンクロとスタンダードナンクロでは(言い過ぎかもしれませんが)天と地ほど違います。好き嫌い、得意不得意あるかと思いますが、いろいろなパズルに挑戦していただきたいです。次からは別のスタイルのパズルについて解説していきます。
最後に、最初の例のマス目を展開したものをあげておきます。



●このコラムは、難問漢字館Vol.10に掲載されたものです。

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